『傾城反魂香』、山の手事情社

2017年10月14日、大田区民プラザホールで山の手事情社『傾城反魂香』を見た。演出は安田雅弘。

近松の恋愛悲劇は、事件に立ち会った人々の哀惜の思いが基本にあるから、演じられるよりも、語られる時に力を発揮する。「なぜこのような悲劇を防げなかったのだろうか?」という問いと、見ている人々を含めて皆で若者を死に追いやった懺悔の演劇であり、それはシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』も同じで、それ故に近松は人形浄瑠璃で太夫が過去を振り返って語り、シェイクスピアではコーラスが登場する。そうであれば、つまりは、舞台で行われることは、語られる台詞の幻影として補完的に存在する方がいい。四畳半というスタイルは、俳優をプラットフォームとして、動きと台詞をそれぞれ別々に共存させる。そして、動きは台詞に奉仕し、それが翻ってイメージを形成する。

今回の『傾城反魂香』においては、それは素晴らしく美しく機能した。近松の台詞はとてもよく分かったし、近松はこのように上演しなければ分からないとさえ思った。原作では、死霊であることを恥じつつ消え失せるみやに対して、元信が「よし雨露に朽ち果てし骸骨なりとも、いだきとめ、肌身に添えん・・・」という凄まじい台詞があるが、山の手事情社の亡霊のみやが消える場面はあまりに美しく哀しい情緒に溢れている。それぞれの俳優はいずれも熱演していたと思うが、遠山(みや)役の女優は特に優れていた。台詞が良く響いていたし、姿と動きはそれに重ね合わさるように印象的だ。

見終わった後、四畳半は変わったなと思い、そのことを演出家に告げたら「多分、みんな上手くなったんですよ」と言っていた。多分それだけではなく、スタイルとして成熟してきたとともに、見る方の意識も変わったのかもしれない。なにより、以前は『傾城反魂香』=ども又という認識しかなかったが、この公演は『傾城反魂香』を改めて蘇らせた山の手事情社の傑作だと思う。

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