ぶどう畑の葡萄作り(23):色がついてきました~ノスタルジア,ご容赦を.

 8月末になるとデラウェアもそろそろ終了で,9月になると本格的に大粒系と甲州種の季節になります.我が家の甲州葡萄にも色が着き始めました.葡萄というのは,樹の先端から熟しはじめます.ですから,ぶどう狩りに行った時などは,樹の先端の方にまず注目です.一房の中では,一般に肩の方から先端に向かって色が着き始めます(熟します).但し,これは日当たりの問題も大きく,一様に肩から先へという流れではなく,実際はマダラに色がついていきます.それでも,小さい頃,一房ずつ,色がなかったり,萎れていたりする粒を抜く作業を手伝ったことがありますが,葡萄の房の先端がまとめて緑色だったのが多かったのを覚えています.肩の方が味が濃いと思っていて間違いはないと思います.我が家の甲州種も,まだらに色が着いてきましたが,肩の方が早いようです.

 8月半ばになるといつも母親が月末の教会の修養会までに出荷を終えたいと言っていたことを思い出します.祖父の代まで葡萄酒も絞っていましたし,観光園もやっていましたが,祖父母が亡くなってからは,段々と品種を絞ってデラウェアの出荷葡萄が中心になっていましたから8月が終わるとひと段落という感じでした.母は父が留学していた時,洗礼を受けてクリスチャンになりました.その時,思い切ったことに仏壇の位牌をお寺さんに戻してしまいました.帰国してしてから父親が「俺にはとても出来なかったことをお母さんはやってくれた」と言っていたのを覚えています.父親もクリスチャンですが,隣の塩山市松里から来た養子(小菅の祖母の甥)ですから,親戚の手前もあったと思います.

 しかし,母の実家は,近くの根津家(東武鉄道の創始者)とならぶ大旧家で,以前,中央大学が本格的な調査に入り,「萩原家文書」(母の旧姓)として纏められたような家でした.母方の祖母も山梨英和の出身で西洋文化に接していましたから,その為に割と自由に振る舞っていたところがあり,勝沼で初めてウェディングドレスで結婚式を挙げたそうです.先日,地域の老婆から「娘時代にお母さんのウェディング姿に憧れてね・・・」と言っていただいたことがありました.あちこちにあった小菅家の広い畑も一人で切り盛りして,英文学者としての父親を支えていましたから,親戚もお寺も特に何も言わなかったのだと思います.子供心に父は本ばかり読んでいて,母が畑に出ているのをとても理不尽に思ったことがあります.

ある年の夏,中学生の時,母親が胃癌のために闘病に入り,いつもは父母も一緒のはずですが,妹と二人だけで教会の修養会に参加したことがありました.帰ってきたら,母親は再入院したということで家にはおらず,9月12日深夜に亡くなりました.42歳でした.多分,父が看病に集中するために子供だけ修養会にやったのだと思います.悲しい思い出です.私にとって,8月から9月は些かノスタルジックな季節です.写真は,8月29日3時頃です.
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この記事へのコメント

suntorina
2012年09月01日 19:58
そうなのです。お母様の記念日は、suntorinaの長女の誕生日と同じですから、よく覚えています。美人を大きく分けると、山本富士子の部類に入る、とてもきれいな叔母さんでした。大家(「おおや」ではない。「たいけ」)の出身の方なので、どーんと、小菅家をきりもりし、父君を支えて、あのような涼しいお顔でいられたのですね。しばしノスタルジア共有させていただきました。

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